感想文T
「一つの花」(今西祐行・偕成社文庫)について…
「この子は一生、みんなちょうだい、山ほどちょうだいといって、りょう手をだすことをしらずにすごすかもしれないね。一つだけのいも、一つだけのにぎりめし、一つだけのかぼちゃのにつけ……。みんな一つだけ、一つだけのよろこびさ。いや、よろこびなんて、一つだってもらえないかもしれないんだね。いったい大きくなって、どんな子にそだつだろう。」
おとうさんが深いため息をついてそう言ったのは、人間らしく生きることを認めない戦争に対して、やりきれないいかりの気持ちをもっているからです。
しかし、戦争という怪物を前にしたとき、ひとりひとりの人間はまったく無力です。戦争をやめさせるなどということはひとりの力でできるものではありません。だから、おとうさんはゆみ子をめちゃくちゃに高い高いするしかなかったのです。それが、ゆみ子にしてやれる人間らしいただ一つのことだったからです。
おとうさんが戦争に行かなければならなかったのも、それをいやだということはできなかっからです。ばんざいや軍歌の声に合わせて小さくではあっても、ばんざいをしたり歌をうたったりしていたのも、そうするほかはなかったからです。
戦争は、人間らしく生きることを認めないだけでなく、人間らしい心までもうばってしまいます。いさましく軍歌をうたったり、大きな声でばんざいをさけんでいる人たちは戦争に魂までもうばわれてしまっているのです。
しかし、おとうさんはちがいました。人間らしい心だけは守り通したのです。
いよいよ汽車が入ってきたとき、おとうさんは、プラットホームのはしっぽの、ごみすてばのようなところに、わすれられたようにさいていたコスモスの花をみつけ、ゆみ子に手渡します。
「一つだけのお花。だいじにするんだよう。」
おとうさんがゆみ子に手渡した一つの花は、戦争の中でわすれられている「人間らしい心」なのです。お父さんは、「人間らしい心」だけはだいじにしてほしい、とゆみ子に言い残して、汽車に乗っていってしまったのです。
いまゆみ子のとんとんぶきの家は、コスモスの花でおおわれています。
それは、おとうさんがゆみ子に渡したコスモスがふえたものでしょうか。
ミシンをふんでいるのはおかあさんでしょうか。
おかあさん。お肉とおさかなとどっちがいいの」
買いものかごを下げたゆみ子が、スキップしながら買いものに行きます。
秋の初めの平和な日曜日です。
平和は人間らしく生きることを保障します。しかし、それがため、それになれてしまい、かえって「人間らしい心」の大切さがわからなくなってしまう、ということにもなります。だから、「一つの花」は今も、いや、今のような平和な時代にこそ大切にされなければならないのだと思います。作者が、平和な現在から、戦争がはげしかったころをふりかえり、この物語を書いたのは、平和な時代にこそ「人間らしい心」をうしなってはいけない、ということをうったえるためではないかと思います。
問題提起
「一つの花」の主人公は「ゆみ子」ではなく、「おとうさん」では?
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