手紙 5 各手紙を見るには手紙のトップページへ戻ってから、各手紙を選択してください。
→手紙のトップページにもどる
ae
o
「学習指導要領が変わりましたが、それについてどのように思われますか?」との質問に答えて。
私はなんとも思っていません。
勉強→学校→学習指導要領というラインで考える人にとっては、学習指導要領の変更は
重大な問題でしょう。しかし、「勉強は自分でするもの」と考える人にとっては、何の問題も
ありません。たとえば、ピアノを本気で習おうとする子が学校の音楽を基準に勉強するで
しょうか。答えは明白に「ノー」です。国語、算数、理科、社会などについても同じことが言
えます。勉強したければ、図書館、学習参考書、塾、テレビ、インターネット、などきわめて
多くの勉強の機会が与えられています。ですから、本当に勉強したい人は、学校など問題
にしないで、どんどん自分で勉強していくはずです。したがって、学習指導要領の改訂など
「どこ吹く風」ということになるのです。 ファーブルや南方熊楠ではありませんが、勉強の原
動力は「知りたい」という個人の意欲であり、学校はこの個人の意欲を啓発し促進する限り
において、存在価値を持ちます。逆にいえば、そのような働きをしない学校など税金の無駄
遣いに他なりません。では、今日までの学校はというと…?そのような働きはしていないと多
くの人が思うのではありませんか.。学習指導要領や教育委員会、黒幕の文部省などを排し
て、各学校に独自の活動を認めること、現場教師に独自の授業をさせること、学校や教師
の選択を生徒の自由とすること、これによりダメ学校やダメ教師は淘汰されるようにすること、
大雑把に言えば、学校制度には、このような過激な改革が必要だと思います。
私は、塾経営者ですから、学校の理想像などにはあまり関心がないのですが,塾なら当然
つぶれるだろうような経営をしていて、ちゃんと存続できるというのはどこかおかしいのでは
ないかと常日頃思っているわけです。銀行にしてもダイエーにしても不思議ですね。どうして
存続できるのかナゾです。
学習指導要領改定に関する大騒ぎの根本には、国家主義か、個人主義か、という問題が
横たわっています。「国家が何かしてくれる」と思っている人たちにとっては、指導要領の改
訂は重大問題になるでしょうが、「国家など基準にすると正直者や弱いものが馬鹿を見る」
と思っている人々は、元来国家を相手にしていないので、「まあ、勝手にやってください。」
程度にしか考えないのです。
春期講習中で忙しいのですが、ついたくさん書いてしまいました。さあ、仕事!シゴト!
草々
02年4月3日 鈴木洋純
各手紙を見るには手紙のトップページへ戻ってから、各手紙を選択してください。
→手紙のトップページにもどる
ae
o