よくある質問

*それぞれの質問をクリックしてください。回答へジャンプします。上から順番に見ていくこともできます。

Question1:読書をすれば読解力がつくのですか?

Question2:新聞を読めば読解力がつくのですか?

Question3:作文を書けば記述力がつくのですか?

Question4:テクニックが大切ですか?

Question5:傾向と対策が大切ですか?

Question6:試験慣れが大切ですか?

Question7:国語って才能ですか?

Question8:宿題をやれば力がつきますか?


Question1:読書をすれば読解力がつくのですか?

Question2:新聞を読めば読解力がつくのですか?


Answer

ただ本や新聞を読んでも効果はありません。書いてある内容がすぐには飲み込めないレベルの文章を選び、その内容を隅から隅まで把握できるまで徹底的に読み込まなければなりません。そのような方法・態度での読書をすれば読解力がつきます。

まず、読解力とは言語を道具とする思考力です。思考力とは論理力です。論理とは判断と推理のことですが、判断と推理を積み重ねて、「あることについてつじつまの合う理解や説明ができる」ということが、論理力であり思考力です。したがって、読解力とは、ある文章の内容についてつじつまの合う理解や説明ができるということです。

 難しい文章についてつじつまの合う理解や説明に到達するためには、あれこれと考え、行ったりきたりしながら、何度も繰り返し読むという作業が必要になります。これをしているうちに、あるときその文章の言いたいことが、つじつまの合う形で自分の頭の中にイメージできるようになります。これは感覚的には文章が透明になったように感じられる瞬間ですが、まさに「読書百篇意自ら通ず」というわけです。

ここでおもしろいことに気づいてください。思考作業は「試行錯誤」の作業であるのです。あれこれ試行錯誤を経て、つじつまの合う説明に到着する。したがって、思考力をつけるためには試行錯誤をしなければならないのです。


 そこで、読解力をつけようと思ったら、自分にとってむずかしいと感じられるレベルの文章を選ぶことが必要です。次に、その文章の述べたいことが、つじつまの合う説明として把握できるまで、あれこれ試行錯誤を重ねながら読み込まなければなりません。このような作業をいくつもの文章について積み重ねていくうちに、次第に高度の読解力を獲得することができるのです。

私は、入試問題で充分な点数が取れないレベルの皆さんが、読解力をつけるためには、いわゆる「読書」は効果が少ないか、まったくないか、あるいは、有害であるとさえ思っています。それよりもむしろ入試問題集を一冊買ってきて、その文章を徹底的に読み込むほうが効果的に読解力をつけることができると思います。読書はそうして読解力をつけた後にすればよいのであり、読解力がないのに、「本を読めばよい」などという無責任なアドヴァイスを信じて、結局、読解力をつけずに終わる、ということのないようにしてほしいと思います。

 ついでに言えば、たとえば「ハリー・ポッター」を何冊読んでも、ほとんど効果はありません。具体的な事実が連続的に記述されているだけですから、その内容は漫画や映画のように容易にイメージできます。これは読解力、したがって、思考力の本質である論理のトレーニングにはならないからです。

また、「天声人語」を読めば読解力がつく、というのも間違いです。読解の基礎力をつけるにはもっと構成の明確な、内容のはっきりした論説文を選んで、練習台にすべきです。「天声人語」は随筆的な性質を多分に持つ点と含蓄や示唆に富む点で、論理力の練習台としては不向きです。

 私は、これらの作品を否定しているわけでも、読むなといっているわけでもありません。読解力を「つける」ための練習台としては適切ではないと言っているに過ぎません。

*ちょっと無駄話をしますが、次の二つの英文の違いは分かりますか? 
  なぜ、前者では“
Who”が使われ、後者では“Which”が使われるのでしょうか?

  Who do you think is fit for the post, he or she?    

  Which is fit for the post, he or she?

think”という動詞は、あれかこれかを選択するだけの場合には用いないからです。“think”という動詞は、「試行錯誤」の結果思考対象を明確化する場合に使うものであり、それぞれの人についてあれこれと適不適を考えることができ、どちらかを選択しなくてもよい場合に使うものだからです。故に、不特定範囲から対象を特定すべき“Who”とともに使われ、特定範囲の選択に過ぎない“Which”と一緒には使われないのです。つまり、英語でも“think”とは「試行錯誤」を本質とするものだということです。


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Question3:作文を書けば記述力がつくのですか?


Answer 

ただ作文を書いても記述力はつきません。論理的に説明する作文の練習をしなければ記述力はつきません。

作文には、大別して二つがあると思ってください。一つは、「いつ・どこで・何が・どうした」という事実を中心とする作文。もう一つは、ある問題について答えを導くことを目的とし、そのための論理過程を示す作文。前者はいわば散文的作文であり、後者はいわば説明文的作文です。

 記述力というのは、論理的な説明のことですから、後者の説明的な作文の練習が必要です。仮に自分は小説家になりたいという人がいたとしましょう。あるいは詩人になりたいという人がいたとしましょう。その人こそ、後者の説明文的な作文の勉強を徹底的にすべきでしょう。詩や小説を書く場合には、物事や人物の行動・気持ちの観察が必要ですが、この観察とはただ目に映るものを見ることではなく、論理の力で本質をスキャンすることだからです。また、小説や詩が、あるテーマを描き出すように構成するのも論理力だからです。自分の使う表現技法が適切・有効なものであるのかを判断するのも論理力だからです。もっと根本的な着想すら、その作家の全経験を総合し抽象化する論理の問題であると思われるからです。

 では、そのような論理的な作文の力をつけるには何をすればよいのでしょうか。

@ まず、論理的な文章の書き写しをするのがよいでしょう。
  A 次に、論理的な文章の要約をするのがよいでしょう。

B 第三に、論理的な文章の論旨を踏まえ、自分で具体例をあげて、筆者の論理を展開してみるとよいでしょう。

C 第四に、論理的な文章の論拠を踏まえた上で、これに反対する論理を展開してみるとよいでしょう。

 これらは基本的にはすべて人まねですが、「学ぶ」とは「まねぶ」ことであり、人まねから出発するといえます。たとえば、ピアノなどを習うときに、初めから自分の思い通りに弾くなどということは出来るものではありません。まず先生の「まね」から入り、それを無数に積み重ねていくうちに、自分らしい演奏ができるようになるのでしょう。文章だってそれと同じで、でたらめを書くよりも、しっかりした文章を暗記するほどまねるところから出発した方が、確かな力をつけることになるのです。ですから、作文力のない人に「自由に書きましょう」などというのは、「でたらめを書きましょう」というのに等しいわけです。

 ちなみに、よく若い人がホームページに自分の「詩」を発表していることがありますが、単なる「思い」を行分けして連ねても、残念ながら「詩」にはなりません。そんなような「気分」になっているだけのことです。

 では、論理を鍛えると感情がなく冷たい人になるのでしょうか。情感豊かな文章は書けなくなるのでしょうか。論理(理性)と感情が競合するものであれば、この論は成り立ちますが、両者は本来領域をことにするのであって、どちらかが成り立てばどちらかが否定されるというような矛盾関係にはありません。ですから、たとえば、ファーブルの観察や実験は極めて論理的ですが、文章には独特の詩情や愛情が感じられるわけです。また、ナサの宇宙科学者故カール・セーガン博士は「コスモス」の中で「星屑が星について考える」と人間存在についての深い洞察を詩情豊かに述べていますが、宇宙論という論理が詩的であることすら示しているといえるでしょう。つまり、論理は冷たいなどというのは根拠のあるものではありません。逆に、感情ばかりの人というものがいるとすれば、その人とは、勉強・仕事・政治・経済などの論理が絡む話は一切出来ないことになります。その人は社会生活困難ということになるではないでしょうか。

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Question4:テクニックが大切ですか?


Answer 

これは、一定の実力を前提として始めて役に立つものです。逆に、テクニックなどは一定の実力がついてくれば、自然と身についてくるものともいえます。分かりやすい例を出せば、イチローのテクニックは小手先だけのテクニックであるのか、実力であるのか、ということです。後者であることに異論はないはずです。たいして実力もないのに小手先のテクニックだけを求めていれば、永遠に実力をつけずに終わってしまいます。

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Question5:傾向と対策が大切ですか?


Answer 

確かに多くの学校で「漢字は5問、物語文1問、論説文1問、記述中心」というような出題傾向はありますから、それを知っておくことは、試験を受ける以上必要不可欠なことです。しかし、これは大雑把な地図をもつということに過ぎません。

 注意すべき点は、毎年同じような出題形式であっても、その中身である文章や問題は同じではないということです。また、問題の難易や自分との相性も毎年一定ではありません。そこで、大切になるのが、それらの中身や変動に対応できる実力です。そして、一般に中身に対応できる実力があれば、変動には対応しやすく、合格確実性が高まるということです。これを裏返せば、志望校対策によって合格できるわけではないということです。対策が生きるような国語の実力(読解力・記述力・漢字・文法・知識)をつけて初めて確かに合格できるということです。この実力(どこの入試にも共通する)をやしなうことを忘れて、安易な志望校対策に走るのはきわめて危険であるといえます。これはどの科目についても当てはまります。

 塾によっては、受験までは「傾向」「傾向」と連呼しておきながら、新傾向が出題されるや否や「新傾向」と騒ぎ出すところがありますが、この点をどう理解すればよいのでしょうか。「新傾向」というものはどんな知恵を絞ってもまったく予想がつかないものであったということでしょうか。そんなことはないはずです。よほど奇異な問題ではない限り、実力さえあれば解ける問題であるのが普通であるのです。たとえば、国語の選択方式の問題が記述方式に変わったとしても、きちんと国語の読解力と記述力をつけておけば、別に大騒ぎするほどのことはないわけです。にもかかわらず、「傾向…傾向…」といっておきながら、ちょっと出題傾向が変わると「新傾向…」と大騒ぎをする塾は、実は一面的な不十分な勉強しか教えていないということではないのですか。それは耐震偽装に等しいともいえるでしょう。根本的な力をつけるという確かな地盤を築いた上で、傾向に対する対策をしているのであれば、特に「新傾向」などと大騒ぎをする必要はないはずです。

 選択問題ばかりの学校を受験するというので、選択問題だけをやっていればそれでよいというわけではありません。受験生の中には文章の内容など分からなくても、選択はできるという人もいますが、たいていの人は文章が読める力をつけることを根本において、選択の練習をするほうが点数を伸ばしやすいといえます。相撲でいえば、強いのはやはり「自力」といわれる根本的な力をつけた相撲取りであるのと同じことです。

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Question6:試験慣れが大切ですか?


Answer 

試験慣れが必要でないとはいえません。試験時間と試験内容の分量から、その問題をどのくらいのペースで解けばよいのかの感覚をつける必要はあるからです。

 しかし、次の点にはよく注意する必要があるでしょう。それは、みんな同じ試験を受けているのに、したがって、みんな同じように試験に慣れているはずなのに、試験の結果には大きな開きがあるのはなぜか、という点です。

 答えは、試験慣れということは、実力をつけるということではないからです。実力をつけた上で、あるいは、実力をつけるのと並行して、試験に馴れていくのであれば、試験の点数もよくなりますが、実力をつけることを忘れて、試験ばかりを受けていると結局点数は上がらないまま終わります。そんな試験の受け方は競馬の馬券の当たり外れに一喜一憂しているようなもので、堅実な生き方とはいえないでしょう。

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Question7:国語って才能ですか? 


Answer 

以上でお分かりいただけると思いますが、国語は論理ですから、論理力を鍛えれば力はつくはずです。もちろん、論理力に才能というものもあるかもしれませんから、個人差はあるでしょうが、受験をするというような人で、まったく論理力がないという人はほとんどいないと思います。問題は明日を信じて論理力をつける努力をするかどうかの問題でしょう。

例えば「もう伸びません」などと悲観的に考える方がかなりたくさんいらっしゃいます。

 では、「もう伸びない」というのは、これから先の人生永遠に伸びないということでしょうか? そんなことがどうして分かるのでしょうか?逆にこの世に生まれた時から今日までまったく「伸びて」こなかったというのなら、オムツをつけたままで、言葉も話せないはずですから、これは事実に反します。ということは今日まで伸びてきたということですから、特別な妨害要因がない限り、これからも伸びるだろうと予測されるはずです。では、なぜ「伸びない」ように思えるのでしょうか。それは、自分で伸びの妨害要因を作っているからなのです。たとえば、身につかない宿題などをただやっているだけだったり、実力もないのに次から次へとただ試験をうけているだけだったりという、無策にあるのです。自分で伸びない原因をつくっておきながら、「もう伸びません」などとヒステリーを起こしているのは、あまりにも愚かというよりも「自己満足の感傷主義」といってもよいでしょう。最後の一葉の「ジョンジー」を思い出します。それはともかく、過去の時の積み重ねによってその未来において伸びてきたということは、これからも、同じように積み重ねによって伸びるということであるのです。自分の才能を伸ばすためにはどんな方法がもっともよいかを落ち着いて考え、そういう策を考え実行するという意味で伸ばす努力をすべきです。

 つまり、「才能」の有無を考えるよりも、誰にもある程度は必ず備わっている「才能」をどう伸ばすかの方法を考え、それを実行すべきです。

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Question8:宿題をやれば力がつきますか?


Answer 

Question13に対するAnswerを参照していただきたいのですが、国語に関する限り、漢字以外の宿題は無意味です。宿題を出して中途半端な予習をさせるよりも、授業の場で考えさせ、授業の場で解説し教える方がはるかに能率がよいといえます。鈴木国語では、漢字以外の宿題は出しませんが、読解力・記述力はもちろん、文法・知識の力まですべて授業の場で力をつけさせてきたと自負しております。なお、漢字は一定量を宿題として出すわけですが、漢字というものは、毎日、歯磨きのように、繰り返し習慣的に勉強すべきものですから、その限度で宿題を出しても、それは当然やるべき目安に過ぎないわけで、本当は宿題とは言えないわけです。

 ちなみに、理科や社会などは授業の場で覚えさせてしまえば、宿題はその範囲の復習だけでたりるといえますし、算数に関しても授業の場での演習を重視すれば、宿題の量はぐっと減らせると思います。塾は可能な限り教え方の効率化を図り、生徒の負担を少なくすべきでしょう。睡眠時間を削るのはへたくそな勉強と言えるわけですから。
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